3/11後…その2

3/11の夜は、三陸自動車道…矢本(途中)⇔河北、間を徒歩で通行。・°°・(>_<)・°°・。







時間を見る余裕、携帯の残りのバッテリーも少なくなり。・°°・(>_<)・°°・。

寒いサムイ、雪の降る中をひたすら歩きました。よりによって、常に履き慣れない革靴を履いていたので、棒の様になった足も更に重く感じました、路面は凍りツルツルと滑る状況でした。自動車道の橋に差し掛かった時、大きな揺れでこのまま落ちるのかな〜?など、寒さで気が動転してました。どうにか、クルマに乗せて欲しい想いばかり…しかし、自動車道は通行止め、緊急車両すら一台も通らない( ̄▽ ̄)
下の道には、クルマのヘッドライトが時々光る。何とか、河北出口までヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3降り口出て直ぐに、手をあげヒッチハイク4〜5台目位でようやく乗せて頂き、飯野川まで、疲れがピークで避難所の場所を聞きに、飯野川警察署で少し休ませて頂きました。近くの避難所まで行こうと警察署の玄関を出ると、辺りが明るくなり始め信号機付近で再びヒッチハイクm(_ _)m
通行止めも何とか迂回して頂き、何台か乗り継ぎ…南三陸入り




初めに、自分の目に飛び込んで来た光景がこれです。

その後、道無き道を…

道が瓦礫で通れなくなっていて、線路上を歩いて来ました。途中様々な光景が目に入って来ましたが、夢でも見ている様でした。とにかく、足が痛い、眠い、疲労困憊!
!(◎_◎;)


道端で座って少し目を瞑ったら、何時の間にか寝ていました。

五分か十分後には、また歩き始めて、



ここまで、来ましたが…橋が無い渡れない、他の方々は迂回して崖を登り別の道を行ってました。私には、限界でしたが…前方向こう岸から警察官が2名ゴム長を履いて棒を持ち落ちた橋の所を渡って来ました、自分も逆に、その辺の棒切れを持ち渡ろうとして警察官とすれ違うカタチになりましたが、「やめた方がイイよ」水位が上がって来たら戻れないよ。と言われましたが、どの様になっていてどこが通れるかわからなかったので、
行こうと決断‼

渡り切った、その瞬間でした。サイレンがなり、津波警報が解除なってなかったのです。自分は、もう瓦礫の中、痛い足を引きづりながら高台を目指し必死に逃げました。実際、波はその時は来ませんでしたが…。・°°・(>_<)・°°・。周りが周りだけに、いつどうなるかわからない状況下でしたので必死でした。

高台から裏の畑を行けば志津川高校避難所だからと言われ、裏の畑を進み高校の体育館で仮眠を取らせて頂きました。
友達のお母さんがいて、みそ汁を一杯持って来てくれました。「今日は、ココに居なさいよ」と言われましたが…