3/11後…その4

私は、約3週間本部があった…ベイサイドアリーナの物資搬入&搬出を時間のある限り手伝いに行きました。そうして、物資の流れや必要な物が必要な場所に行き渡っているか…見ていましたが・・・。・°°・(>_<)・°°・。
実際には、人手不足効率の悪さ、把握力の無さにガッカリしかし、今出来る事を微力ながら手伝っていたつもりでした。日をますごとに周りでの必要な物が届かない、膨大な数の物資…これでは、適材適所に行き渡らないと思い、個人での町内配達や生の声を聞いて廻りました。
町内を廻っていて数日後、姉が免許証の更新で手続きにいった時の話を耳にした。町外に避難した方が後ろに並んでいて聞こえて来た会話…「同じ南三陸町民なのに、町外に避難した私たちには、全然町の中の情報が入らない」って?
私も、その話を聞いてビックリしました。本当なのか?このままでは、町外に避難した方が、心まで離れてしまうのではないか?そうしてこの町に戻って来なくなったら、南三陸町は、町として成り立たない町民は、皆さん1人1人は、町の財産なのに町は気付いているのだろうか?そもそも本当に情報が入らないのか?確認しに隣街の避難所を11箇所を廻って確認したところ…皆さん口を揃えて、「私達は、見捨てられたんだ」といっていました、コレではマズイ。・°°・(>_<)・°°・。

ゴールデンウィーク明けの5/8母の日の出来事でした。わが家に、震災後初めて電気がついたのです。

その時、私は母の日作戦というTwitterで地元の方応援願う…的な情報が有り、
お手伝いをしようと思い参加させて頂きました。
その日を切っ掛けに、【ITで日本を元気に!】の発起人の方と出会い…情報の重要性を学びながら、共に支援を手伝ってくれています。

隣街の(登米市)11の南三陸町外避難所…東和国際交流センター、旧鱒淵小学校、源氏ホタル、旧嵯峨立小学校、登米公民館&武道館、津山若者体育館、豊里多目的研修センター、旧善王寺小学校、平筒沼YOUYOU館、長沼フートピア!
を一ヶ月半グルグルと廻っていました。情報の共有、何か手段は…。