久し振りの、柔道でした。
今日は、久し振りの柔道を子供達と一緒に稽古に励んできました。
子供達は元気だなぁ〜。羨ましい。
…で今日は、柔道繋がりでツイッターの方から、色々支援していただいてる、秋田のT先生がわざわざ来てくれました。夏場には、子供達にオリジナルTシャツを、このオリジナルTシャツ。
提供して下さいました。
子供達も、いつもと違う雰囲気の中稽古に励んでました。
先日行われた試合で好成績をおさめましたので、写真撮影しました。
あと、先日柔道のオリンピック金メダリスト、山下泰裕先生、井上康生先生、方の柔道教室にも参加したみたいで…オリジナルコラボのパーカーをいただいていました。
羨ましいなぁー。
以上、疲れたので…*1..zzzZZ
*1: _ _
3/11後…その2
3/11の夜は、三陸自動車道…矢本(途中)⇔河北、間を徒歩で通行。・°°・(>_<)・°°・。
時間を見る余裕、携帯の残りのバッテリーも少なくなり。・°°・(>_<)・°°・。
寒いサムイ、雪の降る中をひたすら歩きました。よりによって、常に履き慣れない革靴を履いていたので、棒の様になった足も更に重く感じました、路面は凍りツルツルと滑る状況でした。自動車道の橋に差し掛かった時、大きな揺れでこのまま落ちるのかな〜?など、寒さで気が動転してました。どうにか、クルマに乗せて欲しい想いばかり…しかし、自動車道は通行止め、緊急車両すら一台も通らない( ̄▽ ̄)
下の道には、クルマのヘッドライトが時々光る。何とか、河北出口までヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3降り口出て直ぐに、手をあげヒッチハイク4〜5台目位でようやく乗せて頂き、飯野川まで、疲れがピークで避難所の場所を聞きに、飯野川警察署で少し休ませて頂きました。近くの避難所まで行こうと警察署の玄関を出ると、辺りが明るくなり始め信号機付近で再びヒッチハイクm(_ _)m
通行止めも何とか迂回して頂き、何台か乗り継ぎ…南三陸入り
初めに、自分の目に飛び込んで来た光景がこれです。
道が瓦礫で通れなくなっていて、線路上を歩いて来ました。途中様々な光景が目に入って来ましたが、夢でも見ている様でした。とにかく、足が痛い、眠い、疲労困憊!
!(◎_◎;)
道端で座って少し目を瞑ったら、何時の間にか寝ていました。
ここまで、来ましたが…橋が無い渡れない、他の方々は迂回して崖を登り別の道を行ってました。私には、限界でしたが…前方向こう岸から警察官が2名ゴム長を履いて棒を持ち落ちた橋の所を渡って来ました、自分も逆に、その辺の棒切れを持ち渡ろうとして警察官とすれ違うカタチになりましたが、「やめた方がイイよ」水位が上がって来たら戻れないよ。と言われましたが、どの様になっていてどこが通れるかわからなかったので、
行こうと決断‼
渡り切った、その瞬間でした。サイレンがなり、津波警報が解除なってなかったのです。自分は、もう瓦礫の中、痛い足を引きづりながら高台を目指し必死に逃げました。実際、波はその時は来ませんでしたが…。・°°・(>_<)・°°・。周りが周りだけに、いつどうなるかわからない状況下でしたので必死でした。
高台から裏の畑を行けば志津川高校避難所だからと言われ、裏の畑を進み高校の体育館で仮眠を取らせて頂きました。
友達のお母さんがいて、みそ汁を一杯持って来てくれました。「今日は、ココに居なさいよ」と言われましたが…
UNIQLOさまさまです。
本日は、UNIQLOさまから…秋冬物衣類提供されました。
金秀寺
品名 元箱
入数 ケース数 サイズ 配布数量
品名 元箱 入数 ケース数 サイズ
S M L XL XXL
WS長袖シャツ 80 7 1 3 2 1 0 560
MS長袖シャツ 80 15 2 3 7 3 0 1200
計 22 3 6 9 4 0 1,760
3/11後のメモ発見…。
震災時の仙台駅東口
たまたま、バスで仙台に用事があり…駅で付近で時間をつぶしていた時でした。
3/11 午後2時46分
今までにない…大きな揺れを感じました。
東口の交番にあるパトカーのスピーカーから…[南三陸警察署]の3階
まで、水が浸かった…との情報だけでした。
仙台市内もパニック、交通マヒ、停電、火災…。・°°・(>_<)・°°・。
その晩の宿を予約していたので、取り合えず宿ヘ向かいましたが…ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
宿泊客がみんなロビーで、毛布に包まっていました。
雪が降る寒い時期でした、携帯電話も何もかも連絡手段がなく家族
の安否が気になりました、いても立ってもいられずに宿の予約をキャンセルして、家路へと足を進めました。
途中、タクシーを5〜6台停めて、行き先を告げると「ガソリン無いから…とか、道が通行止めで行けないから…」など断られました。
仕方なく、人生初のヒッチハイクを決行しました。
何とか、矢本という場所までたどり着きましたが、水がのっていて
先に車では行けない状況でした。
歩ける所まで、歩こう(*^_^*)
しかし、やはり水が行く手を阻む…どうしても家に帰りたい。
ふと上を見上げたら、三陸道が( ̄▽ ̄)よし一か八かだ!
柵を乗り越え、通行止めの三陸道へヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
流石に、真夜中だ、緊急車両も一台も通りませんでした。
寒い暗い夜道を、月明かりだけが照らすセンターラインを辿りながら…ひたすら歩きました。
途中、石巻日赤病院だけが明るく自家発電?
3/11の夜でした。
被災者が作った新たな形。
[rakuten:kawaiikan:10004794:detail]
この商品を目にして、コレだ…。
これからは、この様な新たな形で復活していかなければ…っと感じました。
早速、自分も買いました。
今日届きワクワクしながら荷物を開けました。
すると、またまた…商品の他の配慮にビックリさせられました。
以下引用、
(ストラップヤでは、商品のお届けの際に発生した CO2を少しでも削減出来るよう季節に合わせた植物の種を同封いたしております!)
だそうです。感動しました。この様な配慮なかなか出来ないですよね。
購入して、色々と勉強になりました。
祖父 遷化(平成23年10月22日、午後5時11分)
私事の出来事で恐縮ですが…。
日記として記憶にも、記録にも残せたらとこの場を利用させて頂きます。
私の祖父、酒井 幸司 (98歳)が先日平成23年10月22日、午後5時11分に登米市民病院で遷化されました。
今回の1000年に一度とされる東日本大震災にも耐え、電気も水道もストップのなか自宅で過ごし、寝たきりとはいえ、素晴らしい頑張りでした。私は、爺ちゃんを誇りに想います。大正2年10月31日に、一般家庭に生まれ…養蚕業の指導者として働き、現在の金秀寺の祖母(亡)と、当時では珍しい大恋愛の末、一緒になったそうです。その後、先代が急に遷化され…42歳の時に頭を剃って、養蚕の仕事もしながら二足の草鞋を履きながら僧侶として今まで頑張って来られました。
…………………。